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ホークスの歴史
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ホークスの誕生から、70年以上の歴史を年代ごとに振り返り、過去の激戦を紹介します。
1938年に南海鉄道を親会社とするホークスの前身「南海軍」が誕生、1947年にチーム名を「南海ホークス」に改め11回の優勝を果たします。
1989年からは本拠地を福岡へ移し「福岡ダイエーホークス」となり優勝3回、2005年からは「福岡ソフトバンクホークス」になり優勝1回、現在に至ります。
◆1938年〜南海軍時代
1938年 南海が公式戦初登場
大阪の南海電鉄を親会社とするホークスの前身「南海軍」が誕生。
3月29日に日本野球連盟に加盟したが、春季は番外試合、公式戦は秋季リーグ戦から参加し、球団は9チームとなる。
本拠地は大阪府堺市、中百舌鳥球場が完成したが、公式戦は主に西宮球場と甲子園で行われた。
◆1946年〜南海ホークス時代
1946年 戦後 プロ野球再開と共にリーグに復帰、鶴岡(当時姓は山本)が選手兼任で監督に就任。
1948年 社会人野球の実力派大物選手をそろえ優勝
1949年 シーズンオフの2リーグ分立で、パシフィックリーグ(パ・リーグ)に加盟
「太平洋野球連盟(パシフィック・リーグ)」
阪急、南海、大映、東急の既存球団に、新たに毎日、近鉄、西鉄が加わった7球団と、「セントラル野球連盟」
巨人、大阪、中日の既存3球団に、新加入の大洋、広島、西日本、国鉄、松竹が加わった計8球団の、2リーグが誕生。
パシフィック・リーグは、「国際的視野に立つ職業野球」という意味で「太平洋」を名乗ったのに対し、「こちらが中心である」という自負をこめ「セントラル野球連盟」と名乗ったのである。
1950年 新本拠地として大阪球場が完成。
1951年 2リーグ分立による余震が続く中、2位西鉄ライオンズに18.5ゲーム差をつけてリーグ優勝を決める。
1952年 前年までの兼任監督・山本一人が監督業に専念、4年連続盗塁王(55盗塁)になった木塚忠助も南海の魅力を維持し、リーグ2連覇。
1953年 大混戦の中で足攻のリーグ3連覇を果たす。
巨人が独走したセ・リーグと対照的にパ・リーグは、首位の座が入れ替わることなんと28回というリーグはじまって以来の大混戦だった。
1959年 立教大学から立教三羽烏「長嶋・杉浦・本屋敷」の一人である杉浦忠が入団。
38勝4敗、勝率.905、防御率1.40など驚異的な数字を残し、南海優勝の立役者は間違いなく「勝率9割」の杉浦忠投手であった。
勝率、最多勝、最高殊勲選手、イニング連続無失点奪三振のリーグ新記録、日本シリーズ・史上初の4連勝など記録も多岐にわたる。
4年ぶりのリーグ優勝、日本シリーズ4連勝無敗、5回目にして始めて巨人を倒し優勝を果たした。
1961年 阪急に22勝5敗1分、近鉄に23勝5敗というすさまじさで、2年ぶり8度目の優勝を飾る。
右手首の故障にもめげず、キャッチャーで四番の野村克也(本塁打王)がMVPに選ばれ、ペナントレースの幕は閉じた。
1964年 日本シリーズは史上初のセ・リーグ優勝(阪神)との大阪同士の対戦となる。
両チームの希望により、日本シリーズ初のナイトゲームで行われた。
1965年 南海が圧倒的な強さで優勝を飾る。
前半戦で17連勝(1分け挟む)、10連勝、8連勝、2度の5連勝、連敗が2度しかなく、本拠地・大阪球場で19連勝の日本記録もあり、夏には2位と20・5ゲーム差をつけてしまった。
また、野村は本塁打42本、打率.320 打点110で、戦後初の三冠王に輝いた。
野村の本塁打王は5年連続6度目、打点王は4年連続5度目の快挙となった。
1966年 3連覇達成
1973年 プレーオフ南海VS阪急7年ぶり、野村監督が初の年度優勝を果たす。
 
◆1989年〜福岡ダイエーホークス時代
1989年 本拠地を福岡市・平和台野球場に移転、球団名も福岡ダイエーホークスと改められた。
1993年 福岡ドーム完成
史上初の開閉式屋根を有するドーム球場・福岡ドーム(2005年、福岡Yahoo! JAPANドームに改称)が完成。
1999年 福岡移転後初のリーグ優勝
日本シリーズでは中日ドラゴンズを4勝1敗で下し、日本一を果たした。
キャプテンの秋山幸二外野手が、2本の本塁打とファインプレーでシリーズMVPを獲得。
西武と併せての史上初の2球団での日本シリーズMVP獲得者となった。
2000年 リーグ2連覇
20世紀最後の日本シリーズは、王貞治監督率いる福岡ダイエーホークスと、長嶋茂雄監督率いる読売ジャイアンツとの「ON対決」が実現。
2003年 リーグ完全優勝達成
阪神タイガースとの日本シリーズを制し、4勝3敗で2度目の日本一を果たした。
 
◆2005年〜福岡ソフトバンクホークス時代
2005年 新チーム名を「福岡ソフトバンクホークス」に変えスタート
本拠地ヤフードームでの12連勝などで首位に立ち、レギュラーシーズンを89勝(勝率.664)という好成績で2位ロッテに4.5ゲーム差を付けて1位で通過。
2008年 セ・パ交流戦優勝
2009年 2年連続で交流戦優勝
初の交流戦完全優勝(全球団勝ち越し)を達成。
2010年 7年ぶりのリーグ優勝
セ・パ交流戦12球団一番乗りとなる通算100勝を達成した。
2011年 2年連続のリーグ優勝
交流戦を過去最高の18勝4敗1分けの成績で優勝、内川が交流戦MVPを獲得。10月1日の西武戦で2年連続のリーグ優勝を決め、史上初の11球団に勝ち越し、月間成績でも一度も負け越さなかった。2004年に現行のプレーオフ制度が始まって以来、7度目にして初の日本シリーズ出場となった。中日との日本シリーズでは第7戦に3-0で勝利し、8年ぶりの日本一となった。台湾で開催されたアジアシリーズでは韓国の三星ライオンズに決勝で敗れている。
2012年 チーム防御率は2年連続リーグトップ
交流戦では8連敗と低迷し8勝13敗3分の11位で終わる。ペナントレース終盤は楽天、ロッテとクライマックスシリーズ進出を争い、ソフトバンクがクライマックスシリーズ進出を決めた。最終的に67勝65敗、首位から6.5ゲーム差の3位。チーム防御率は2年連続リーグトップだった。クライマックスシリーズファーストステージでは、ファイナルステージで日本ハムと対戦、3連敗を喫し通算成績0勝4敗で敗れる。二軍はウエスタンリーグで4年ぶりに優勝。小久保裕紀が現役引退。
2013年 セ・パ交流戦優勝
2年ぶり4度目のセ・パ交流戦優勝となる。ペナントレース最終成績は、4位に終わる。二軍は2年連続の優勝と5年ぶりの日本一を決めている。斉藤和巳が退団。FAで鶴岡慎也と中田賢一を獲得。MLB・アスレチックスから岡島秀樹が復帰。その他、デニス・サファテ、ブライアン・ウルフ、李大浩を獲得した。
2014年 3年ぶりに日本一
12球団で最初のクライマックスシリーズ進出を決めたが、その後は最後までオリックスとの激しい優勝争いとなり、一時は残り試合数の関係で2位のオリックスに優勝へのマジックナンバーが点灯し、逆にソフトバンクは9月17日から1勝9敗で最後までマジックナンバーが点灯せず、迎えたシーズン最終戦のヤフオクドームでのオリックスとの直接対決で、延長10回裏に松田宣浩のサヨナラ打で3年ぶり通算18度目のリーグ優勝を達成した。日本ハムとのCSファイナルステージ(ヤフオクドーム)はアドバンテージの1勝を含む4勝3敗で勝利し、3年ぶり日本シリーズ進出、阪神との日本シリーズでは4勝1敗で3年ぶりに日本一となった。
2015年 昨年に続き、日本一
5月17日に首位に立つ。交流戦は12勝6敗、首位・日本ハムと0.5ゲーム差の2位で終え、6月16日に日本ハムが敗れたことで、ソフトバンクの交流戦勝率1位が確定。前半戦は、2位日本ハムと3.5ゲーム差の首位で終える。8月5日の対日本ハム戦に勝ったことで、マジック38が点灯。9月6日、対楽天戦に5-3で勝利し3位以内が確定、両リーグ一番乗りでのクライマックスシリーズ進出を決めた。9月17日、本拠地での対西武戦に5-3で勝利し、パ・リーグ最速でリーグ優勝を決める。リーグ優勝は2年連続19回目、リーグ連覇は2010年・2011年以来の5回目である。10月4日の対楽天戦に勝利し、シーズン90勝を達成。シーズン90勝は、球団では59年ぶり。最終的には、2位・日本ハムに12ゲームという大差をつけてのリーグ優勝となった。クライマックスシリーズファイナルステージでは、ファーストステージ勝者のロッテと対戦。シーズン中の勢いそのまま4勝0敗(アドバンテージの1勝を含む)とストレート勝ちで、2年連続で日本シリーズ進出を決めた。東京ヤクルトスワローズと対戦した日本シリーズでは、4勝1敗で2年連続7度目の日本一を達成。日本シリーズ連覇は球団史上初となった。
 
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